番外編−その3

2001/06/11

パリの休日
予定通り休みが取れたので、街歩きに行って来ました。

ポルト・マイロからシャン・ゼリゼ通りに沿って、コンコルド広場まで、約
3.5kmを1.5時間かけてゆっくりと散歩してみました。

そこには世界中からのいろいろな人々がいました。

通りに面したカフェでくつろぐ人、ウィンドウ・ショッピングする人、手を
つないで歩くカップル、ベンチで語らう人、インライン・スケートを楽しむ
人などなど、皆が思い思いの時間を過ごしていました。

何故か、その中に日本人はあまり多くありません。 いつも成田からパリに
向かう国際線にはあれだけ大勢の日本人が乗っているのに、どこへ行ったん
でしょう?

たぶん、どこかの観光名所を我が物顔で歩いているか、ブランド店で値引き
交渉をしているのではないかと思います。

本日は店が休みですからいませんでしたが、営業している日などは、ルイ・
ヴィトンの本店など日本人の長蛇の列ができるそうです。

価値観の違いですからそれの是非と問うつもりはありません。

ただ私個人的には、そんなことに時間を潰すより、この風景を楽しみながら、
歴史を感じつつ、その歴史と今の自分の存在の関係を問いながら、ゆっくり
と散歩する方がずっと心が豊かになると思います。

目に見える物を所有することによる満足感よりも、今自分がここに存在する
確かな理由や意義を、私は追求したいのです。

この考えを他人に押し付けるつもりはありません。 またこのような考えは、
ある程度の物欲の満足感を経ねば辿り着けないのかもしれません。

いずれにしろ、今の私は、それを追求せずにはいられないのです。

この世の中で、この私を一体誰が必要としているのでしょうか?

家族? 経済的理由からだけだとしたら、そんな悲しいことはありません。

本音は、私が愛している人達に、それと同じくらい私を愛して欲しいのです。

それさえあれば、どんな時にも立ち止まることなく歩いて行ける気がします。

でも、人には皆その人なりの感情、考え方があるでしょう。 要求はできま
せん。

だとしたら私達は何を支えに生きていけばいいのでしょうか? 支えなどを
必要としない生き方ってあるのでしょうか?

そんなこと考えず、ただ享楽的にその場の楽しみを追求する生き方もあるこ
とは知っていますが、残念ながら私はそれに満足できないのです。

...

街歩きの話しが逸れてしまいました。

私は世を儚んでいるわけではありませんし、授かった命は全うするつもりで
すのでご安心を。 ただ、その全うの仕方を見出せずにいるのです。

気分が暗くなられましたら、ごめんなさい。



どの通り、どんなに小さな通りにも、私はパリを感じます。 この雰囲気、
漂う独特の風格と歴史は、パリならではのものだと思います。

まぁ世界中を回ったわけではないので、私が知っている範囲でですが。

仕事の合間には、こちらに住む者達とも話しますが、住むのは大変そうです。

しかし、機会があれば、人生のうちの数日〜数週間〜できれば数ヶ月間滞在
してみる価値はあると思います。

よくフランス人は自己中心的とか言われます。 確かにそういう面もあると
思いますが、それだけでは彼らを語れないと思います。 それが何かは未だ
分かりませんが、何か日本人が失ってしまったもののように思えてなりませ
ん。

以前、詩や随筆を書いていると申しましたが、どうも情景よりも感情の方に
気持ちがいってしまい、また教養が貧弱なせいもあって、結果的にありふれ
たものになってしまいがちです。

...

また脱線しました。

まぁでも、普段忙しさに追われて置き去りにしているこういうことを考える
時間を持てるということも、本日散歩した成果とも考えられますね。

情景の描写を期待されていたら、申し訳ないですが。



ポルト・マイロから少し歩くと、やがて凱旋門が目に入ってきます。

シャン・ゼリゼ通りを見下ろすというか、見守るように立っている凱旋門こ
そが、パリを代表する景色だと思います。

確か完成までに30年とかの歳月を要したとか、そりゃそうでしょう。

あの彫刻の数々、あれだけでもかなりの時間かけてるでしょう。

建築を依頼したナポレオンは、皮肉なことに生きて凱旋できなかったとか。

人生なんて、そんなもんですかね。 Cest la vie.



こちらのカフェでは、コーヒー一杯でも何時間でも粘れます。 日本のよう
に何度も水を注がれることもありません。

いろいろな人が思い思いの時間を過ごしていますが、ここの人達は、皆さん
よく喋りますねぇ。

本当に人生を楽しんでいるようです。 フランス語はまだまだ不自由なので、
話しの内容は全く分かりませんが、とにかくよく喋ります。

そして皆よく食べる。 私は身体は大きいですが、食べる量はそれほど多く
ありません。 こちらの料理は、食べきれずに必ず残してしまいます。

それに較べると、こっちの人達は凄い。 私が残してしまうものを、小柄な
女性でさえ簡単にたいらげてしまいます。

まぁ普段からの習慣の違いでしょうか。 食べることでも人生を楽しんでい
ることは確かですね。



シャン・ゼリゼ通りがモンターニュ通りと交差しているところでは、綺麗な
花壇が作られており、また噴水からは豊かに水が噴出し、適度な風は木々の
葉を揺らし、花も水も風もそれに吹かれる木の葉さえも彼らの人生を謳歌し
ているかのようでした。 なんとも心安らぐ情景です。

噴水の前を横切ろうとした時、一瞬ちょっと風が強くなり、そこにいた人達
は私を含めて水に濡れてしまいました。

何故か「元気だせよ」と誰かに言われたような気がしました。

私は元気ないように見えるのでしょうか?

またその時、作者の名前を忘れてしまいましたが、次のような詩を思い出し
ました。

 いつかふたりになるためのひとり
 やがてひとりになるためのふたり

初めてこれを読んだ時には愕然としました。 なんともストレートでしかも
読む者に迫る詩か、と。 私なんかまだまだダメだな、と悔しくもありまし
た。

しかし何故突然思い出したんでしょう。



さらにシャン・ゼリゼ通りを歩いていくとコンコルド広場に辿り着きます。

故ダイアナ妃が最後に泊まったというホテルが見えますが、名前を忘れてし
まいました。

14年前に始めてパリに来た時はなかった観覧車が目立ちます。 21世紀
を記念して作られたとか。

ない景色の方がいいと思うのは私だけなんでしょうか?

それにしてもあの観覧車、回るスピードがかなり速い気がしますが、大丈夫
なんでしょうかね。

よく見ると、乗っている客もあまりいないようです。



1時間半も歩きましたが、ゆっくりゆっくり歩いたためか疲れはあまり感じ
ません。

コンコルド広場に突き当たったところで右へ行き、セーヌ川に架かる橋から
周りを眺めました。

遠くにはエッフェル塔が見えます。 本日は天気が良かったので、よく見え
ています。

セーヌ川を行き来する船にも大勢の乗客がいるようです。 本日は船に乗る
にもいい日和でしょう。 川を渡って来る風は少し寒いかもしれませんが、
皆愛しい人と一緒のようだからちょうど良いのかも。

エッフェル塔の反対側、はるか遠くにはノートルダム寺院が見えます。 

これからさらにあそこまで歩くのは辛い。 今度休みが取れたら行ってみよ
うかな。



あらら、もう原稿用紙13枚分(たぶんそのくらい)も書いてしまいました。

読む方も疲れますね。

ちょうど散歩も終点です。 ほどよい疲労と、何かは分からないけど達成感
のようなものと、少しだけ得したような気分を得ることができました。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

ではまた。





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