�癲�24小田原城
推薦のことばいちろう
木々の緑と調和した白亜の天守閣や外堀はすばらしい景観であり、特に春の桜は見事である。
ヒント
ニャイ・・・(っつーか石碑がねーよ毛ッ)
ウンチ喰う?
小田原城(おだわらじょう)は、現在の神奈川県小田原市にあっった戦国時代から江戸時代の城。
もともとは相模国の豪族土肥氏一族である小早川氏の居館で、室町時代に上杉禅秀の乱で大森氏が奪った。1495年、伊豆を支配する北条早雲が大森氏から奪い、以来北条氏政、北条氏直父子の時代まで戦国大名後北条氏の5代95年にわたる居城として、南関東の政治的中心地となった。
後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山を詰め城としていた。大森氏も、そうであったろう。第3代北条氏康の時代には、上杉謙信、武田信玄の攻撃を退け、戦国時代屈指の堅城ぶりを誇った。後北条氏の時代に、小田原城は、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9kmの土塁と空堀で取り囲んだ惣構え(これは後の豊臣氏大阪城の惣構えよりも広大である)をもつ、それまで類を見ない大規模な城郭へと拡張された。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして後北条氏と開戦し、小田原城を攻撃した。小田原征伐と呼ばれるこの戦役において秀吉は圧倒的な物資をもって取り囲むととともに別働隊をもって関東各地の後北条氏の支城を各個撃破し、篭城戦によって敵の兵糧不足を待ち逆襲しようとした後北条氏の意図を挫き、3ヶ月の篭城戦の末ほとんど無血で開城させた。この篭城戦において、北条側が和議と抗戦継続をめぐって議論したが一向に結論が出なかった故事が小田原評定という言葉になっている。
戦後、後北条氏の領土は徳川家康に与えられ、江戸城を居城として選んだ家康は腹心大久保忠世を小田原城に置いた。以後、17世紀の中断を除いて明治時代まで大久保氏の小田原藩が小田原城を居城とした。現在の小田原城址の主郭部分は、大久保氏時代に造営されたものである。末期には、海岸に3基の砲台があった。
小田原城址は小田原城址公園として公園化され、復興天守が昭和35年(1960年)に建築されている。天守閣の頂上からは太平洋や笠懸山の石垣山城がよく見える。


