48八管山と八管神社

 

推薦のことばいちろう
眼下の中津の清流、相模の台地の眺望とうっそうと茂る木立の中にある八菅神社の荘厳さがすばらしい。

 

ヒント

ここもヒントと呼べるものはにゃいゾォ。一大霊場だっちゅうに・・・どーしよ。

でも鳥居入口の石看板の横にデンと置いてありそうかな?まぁ逝ってみるべぇ。


ウンチ喰う?
八菅神社と梵鐘
 八菅神社は、もと八菅山七社権現といい、別当寺光勝寺のほか院坊五十余をもふくめた修験の一大霊場として古くから続いていました。
 ここの梵鐘は、元和四年(1618)徳川初代将軍家康三回忌の供養にあわせて、三増合戦のおり地元民の犠牲となった小田原領、下川入総代熊坂金兵衛宗清の菩提のため、その子宗仲ら親族が宝前に献じたものである。

もと八菅山七社権現といわれ光勝寺ほか修験道場として古くから続いていた。明治維新の際、神仏分離令により、光勝寺は廃され、修験は帰農するとともに、権現は八菅神社となった。

八菅山は、愛甲郡愛川町小仏山地の東南部に位置し、相模川に流れ込む中津川沿いにある標高225メートルの山だが、古くから修験の山として知られている。八菅橋を渡り300段の石段の上が本殿、この山の中腹に八菅神社、別名八菅の七社権現がある。大山阿夫利神社日向薬師とともに、かつては関東での山岳修験の道場であった。

修験道は、天台密教を信奉し、宗験宗ともいい、山岳地帯で苦行して悟りを会得するものとされている。なかでも、八菅神社は、修験道三派のうちの聖護院流で、行者は京都の本山や奈良県・熊野にこもって、荒行で身を清めたと伝えられている。修験道は、荒行と同時に、礼儀を重んじ、経文や読書を好むといういわば質実剛健さがあり、現在でもこうした気風が八菅山周辺には残っている。八菅山の尾根あたりからは、相模川と中津川が並行して流れる様子が望まれ二本の川の向こうには、相模平野が見渡せる。そして、目を東の方角に転じれば丹沢山塊の緑濃い自然のままの樹林に覆われている姿が素晴しい。