外人墓地周辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


推薦のことばいちろう

緑のじゅうたんの上に白い墓石が美しく、港の見える丘公園からは横浜港、マリンタワーが望まれ、元町公園の桜の樹々がエキゾチックな街並みに映えてみごとである。

 

ヒント

山手本通り沿いにある。簡単ブヒヒィ。

 

ウンチ喰う

山手外国人墓地は、1854年(安政元)ペリー2度目の来航の際、アメリカ東インド艦隊のミシシッピー号乗り組み陸戦隊員ロバート・ウイリアムズ二等水兵が、マストに登って作業中甲板に転落して死亡した。その埋葬(後に下田へ改葬された)が始まりである。

横浜開港とともに来浜して、日本で没した外国人を埋葬するため、1864年(元治元)にイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四カ国と徳川幕府との間で結ばれた「横浜居留地覚書十二カ条」の第三条で 外国人墓地の設置が決まり、場所は増徳院の上にある土地が指定された。これが現在の中区山手96番地の山手外国人墓地である。

このなかには、日刊英字新聞第1号「ジャパン・ガゼット」を創刊して日本のジャーナリズムの発展にも大きな影響を与えたジョン・レデイ・ブラック、ビール醸造のコープランド、ボーイスカウト創設のグリフィン、わが国の鉄道建設に貢献したエドモンド・モレル、機械製氷のストルンブリンク、絵入りの英字新聞「ジャパンパンチ」を発行したチャール・ズワーグマンなど、横浜の近代史に深い関わり合いを持った人々が眠っている。その墓碑のひとつひとつを訪ね歩くとき、そこには日本近代史の断面を見ることができる。

外国人墓地の前にある山手資料館は、1909年(明治42)に建てられたもので、市内で現存する唯一の木造西洋館である。墓域の模型が展示されていて、どこに誰の墓があるか一目でわかる。

安政元(1854)年ペリー艦隊 の水兵を葬ったのが外人墓地のはじまり その後幕末の生麦事件で殺傷されたリチャードソンをはじめとする 攘夷運動の 犠牲者等を埋葬し定着していった。

 

 

是非!