山下公園といちょう並木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


推薦のことばいちろう

広い芝生と四季の花が咲く公園、港に浮かぶ船、そして春はもえるような新緑、秋にはあざやかな黄色に輝く周辺のいちょう並木が一体となった景観がすばらしい

 

 

ヒント

にゃいッス!ウソウソ山下公園中央口の向かって左手にソリはある。

 

 

ウンチ喰う

大桟橋入口から山下橋までいちょう並木が続く海岸通りは、幕末・開港期から明治の中頃にかけて、外国人居留地のメインストリートだったところだ。当時の建物は、現在戸田平和記念館となっている「英七番館」ぐらいしか残っていないが、どことなしに近代横浜の歴史をひめた格式が感じられ、エキゾチックなムードがただよっている。

その頃、居留地の外国人からも日本で最も美しい街路と賞賛され、海沿いに走るこの道路には、ホテルが建ち並び、彼等の社交の場となるとともに散策の場にもなっていた。

そして現在、毎年五月のゴールデン・ウイークには、新緑の下横浜国際仮装行列が繰り広げられ、十一月、紅葉の季節になると横浜マラソンが行われ、いちょう並木の風物詩として、多くの市民に親しまれている。

このいちょう並木と平行しながら、横浜港に面した山下公園は、関東大震災の復興事業の一環として、横浜市内の焼土、瓦礫を埋め立て処理し、再び災害があった時の避難場所にもなるようにという目的から、1930年(昭和五)三月に開園した。面積は約7.4ヘクタール、横浜スタジアムの2倍ちょっとの広さがある。総工費は当時の金で79万7千円かかったという。

関東大震災の折、横浜在住のインド人多数が市民に助けられたお礼にと、1937年、在日インド人協会から「インドの水塔」が寄贈され現存している。第二次世界大戦後は、駐留軍の住宅地として長い間接収されていたが、1954年から少しずつ返還され、整備・改造が行われた。

1960年に、姉妹都市のアメリカ・サンジエゴ市から贈られた高さ4メートル、重さ8トンのコンクリート製の「水の女神」像が中央噴水池に建っている。1979年、童謡「赤いくつの少女」の像がたて建てられ、「カモメの水兵さん」の歌の碑もつくられた。

しかし、何はともあれこの山下公園のマスコット的存在は、東岸壁に係留されたかつての太平洋の女王氷川丸。日本を代表する豪華客船として、太平洋横断実に238回を数え、約25,000人の乗客を運んだ歴史を持つ。

大桟橋の横から山下埠頭までの海岸沿いの公園。横浜港を眼前に見る最高のロケーション、横浜を代表する景観だ。 赤い靴 の女の子の像や、 かもめの水兵さん の碑、西洋理髪発祥の地の碑などがある。関東大震災のあと整地され、昭和5年開園した臨海洋式公園。 7月20日の国際花火大会 も楽しい。

 

是非!