この日は、会社を出るのが少し遅くなった。ということでお手軽な場所に行くことにした。 だいたいの場所はつかめているが、地図にはっきりとこの橋が載っているわけではない ので、最終的には現地で迷うかもしれない・・・と思いつつ横横に乗る。 朝比奈ICで一般道へ出て、上郷方面へ。そう、ここは夜な夜な高速代をけちったり、タイム トライアルしている連中におなじみの道である。今回の橋はこの道沿いのある、はず。 トンネルを抜けてしばらく行くと、右側に文教堂があるが、そこに車を停める。文教堂の 裏手にはいたち川という細い川が流れている。駐車場の柵越しに川の方を眺めてみる。 暗くてよくわからないが、橋らしいものが見えた。 文教堂の駐車場の脇の歩道からいたち川へ降りてみる。すぐ脇は文教堂もあるし、大きな 通りもあるのに、ここは真っ暗だ。うへぇ。ちと恐いなぁ。へんなやつがいたらどうしよう。 ちなみにこの辺りのいたち川沿いは小川アメニティとして遊歩道が整備されているらしい。 が、今は夜11時。真っ暗で遊歩道を歩く人もいない。 先ほどの橋らしきものがあった方へ川を少し上流に歩くと、すぐ橋は見つかった。小さな 石橋でアーチ状になっている。すぐ脇には栄区が立てた説明板があり、そこにはギッシリと 説明が書いてあった。しかし、この暗さではいまいち読みづらい。橋の脇に少し大きめの 石があった。暗くてよくわからなかったが、目を凝らして見ると、そこには四角いプレートが はめてある。おっ!100選のプレートだ。カメラに収める。フラッシュがたかれ100選の プレートであることは確認できた。 真っ暗で橋を渡るのもためらわれたが、来たからにはやはり渡るべきだろう。ということで 橋を一往復。全景をカメラに収め、そそくさと退散した。 薀蓄は説明板にいっぱい書いてあったが全部紹介するのも面倒なので、建造年代についてのみ。 橋の欄干には大正四年と書いてあるが、実際には違うようだ。橋自体とこの欄干は材質が違う らしい。この橋と構造がまったく同じ経堂橋(石造)が明治三十年代の建造と言われており、 恐らくこれと同じ頃であろうとのことです。 また、道路の拡幅や河川改修で市内の石橋のほとんどが消滅した現在、この橋は市内最古の 石造橋と考えられ、文化財として貴重なものである、とのこと。 Ummmmこれは確かに古いぜ。 ・ ・ 一通り100選の橋を回りきったが、いくつか橋名の写真がないものがある。また、100選の碑 もしくはプレートもはじめた当初はその存在を知らなかったので、実はあるかもしれない。 そう思い、100選の橋の表穴埋めシリーズと題して、いくつか回っていこうと思う。 初回は、(といっても既に2回訪れている場所はあるが、まぁちゃんと穴埋めをしようという 意味でのスタートでは初回)はお手軽に昇龍橋。例の栄区の文教堂の裏にあるやつである。 最初に行ったときは真っ暗で恐いぞ〜と思っていたが、その後回を重ねるにつれ、さらに恐い 状況のものがいくつかあった。それらを回った今となっては、昇龍橋の状況は屁でもない。 今回は行ったところ、あれ?電灯の灯りが少し届いてるジャン。真っ暗闇ではないぞ。ただ、 依然来たときは文教堂の駐車場を工事していたので、その壁等でもう少し暗かったような気 がしたが、やはりたいしたことはない。 まずは橋名と思われる、欄干部を撮影。そして、だれかさんが貼ったステッカーは・・・・ 剥がされている。悪行は許されないのだ。ぬはは。 初回はちょっとお手軽すぎたな。まぁ橋名はちょろいもんだが、100選プレート探しはきっと 難航するであろう。