今日は江ノ島方面に行こう。三浦半島の西側を北上していく。ところがこの日はなぜか 40km/h野郎が何台もいた。飛ばして40km/h。対向車がきたり、少し障害があると30km/h とかになってしまう。1台が曲がっていなくなってもしばらくいくとまた、別の40km/h 野郎が。結局鎌倉までずっとこんな調子が続いた。 さて江ノ島の入口についた。江の島大橋と江の島弁天橋は並行してかかっている。両者 とも片瀬海岸から江の島に渡る橋であるが、江の島大橋は自動車用、江の島弁天橋は 歩行者用である。さて、江ノ島大橋を渡って、江ノ島に入る。この周辺には何台も車が 止まっていて、若者もけっこういっぱいいる。橋を渡りきったバス停のところに車を停め、 江ノ島大橋の名前が彫ってある橋の欄干を撮る。しかし、ただ彫ってあるだけなので何が 書いてあるか写真ではわからない。今度は歩行者用の江ノ島弁天橋に行く。こちらも名前 と全景をパチリ。しかし100選の碑が見当たらない。しかたないので車に戻り、今度は橋 の島と反対側に車を停め、100選の碑を探す。が、見つからない。結局100選の碑はなかった。 周囲は若者がグループでたむろしている。あまり長居しておやじ狩されるのも嫌なので 早々に引き揚げた。 ちなみに、江の島弁天橋の元は、明治時代にかけられた木製の桟橋のようなものであった。 それ以前は渡し舟により江の島に渡っていたが、干潮時には歩いても渡れたそうだ。 しかし、その桟橋は台風や津波ですぐ流されてしまうようなものであった。そしてついに 昭和24年に橋桁がコンクリート製の強固な橋がかけられた。江の島弁天橋という名は この時につけられた。ちなみにこの名は一般公募によるもの。しかしながら、橋桁は コンクリート製であったが、橋上は木製であった。このため観光旅行者が増えるにつれ 破損は激しくなり、昭和33年に現在の強固な江の島弁天橋ができた。続いて、昭和39年(1964) 東京オリンピックのヨット競技の会場に江の島が使われることになり、ヨットハーバーが 建設され江の島弁天橋と平行して車両専用の江の島大橋が造られた。これが現在の形である。